住職法話

住職法話(1)

高2になる長女が幼稚園の頃の話です。

幼稚園を3年間休まず通園し、皆勤賞をいただきました。風邪をひいたこともありましたが、たまたま幼稚園が休園日だったり、また、「お腹が痛い・・・」と言うので、「今日は休もうか?」と尋ねると、「病院に行ってから幼稚園に行くよ!」と泣きながら訴えてきたこともありました。振り返ると、親子でともに泣いたり笑ったりした3年間でした。

 皆勤した娘も入園して2週間程は、泣いて帰っていました。最初は、幼稚園で何かあったのかと心配しましたが、涙の理由は別にありました。それは、幼稚園バスで帰ってくる娘を妻が、「お帰り」といつも迎えています。娘の涙の理由というのは、「お帰り」というお母さんの声に安心しての涙だったのです。入園したばかりで不安で一杯の娘が、「お帰り」の言葉に緊張の糸がプツンと切れて、ホッとして安心して泣いていたのでした。逆に、「お帰り」の言葉に安心して笑顔で帰ってくる子もいるでしょう。これは、どちらの姿も、「お帰り」の言葉に安心した姿であります。

 この「お帰り」の言葉の中には、妻の様々な思いが詰まっているようです。「大丈夫だった?」「ケガはしなかった?」「給食は食べた?」「お友達と仲良くしている?」 など、妻の心配は尽きることがないのです。たった一言の「お帰り」ですが、心配する親心が満ちた言葉でした。

そして、もう一つ大切な意味があります。それは、「私はここにいるよ、大丈夫だよ・・・」という、母のほっとけないというはたらきが溢れているのです。

涙を見せた娘も次の日には、「行ってきます。」と元気に幼稚園へ。それを「行ってらっしゃい」と見守る母の姿がいつもありました。娘は、この「お帰り」に支えられているのです。

 『南無阿弥陀仏』のお念仏は、阿弥陀さまが、すべての生きとし生けるものをほっとけないという、よりそいの名のりであります。そして、『ここにいるよ、大丈夫だよ』と、いつでもどこでもどんなときでも、おはたらきくださっているのです。

この『南無阿弥陀仏』に包まれ、支えられながら、悲喜の人生に“安心”をいただく人生を生きて往きましょう。

合 掌