願いに生かされて
浄土真宗のご本尊は、 阿弥陀如来です。阿弥陀さまは、 この私に願い(本願)をお届けです。それは、『ここにいるよ、大丈夫だよ』『あなたを、決して離さない、見捨てない、何があろうと一緒だから』『あなたのいのち、必ずお浄土に生まれさせ、仏にさせます』との願いです。
何故、阿弥陀さまは願いを?。それは、この私が苦しみ悲しみを抱えた存在だからです。誰もが願いを持たずにはおれない身。願いというのは私側から起こります。「こうありたい…」「こうなってくれ…」「なんとかしてくれ…」。願いを持ち続けながらの人生ではないでしょうか…。しかし、私自身がいのちに対して、願いを持つ姿というのはいかがでしょうか?それは、どこまでも追い求め、 終わりのない、限りのない、 底知れない願いとなり、 迷いに沈みゆく姿でありましょうか…。このことを、お釈迦さまが「人生は苦なり」とお示しになりました。それは「思い通りにならない」との意味です。 仏教では『生死輪廻』。それは、『迷いの中にいる私』という存在であります。だからこそ、私からの願いではなく、阿弥陀さまからの願いであります。方向が逆でした。
その願いは、 『生死輪廻』の迷う私を見過ごすことができずに、 よび声となって、 いつでもどこでも届いています。いつでもどこでもとは、 “今ここに”ということ。 それが『南無阿弥陀仏』のお念仏です。